2018.04.06
【上善如水 第4稿 ~効率的な生き方は正しいか~ 】
今から約2300年前、中国の戦国時代中期に成立した「莊子」という思想書があります。
一切をあるがままに受け入れるところに真の自由が成立するという思想を、多くの寓話を用いながら説いています。
「心はいかにして自由になれるのか。」その思想は、後の中国仏教、即ち禅の形成に大きな影響を与えました。
とかく、管理や罰則など、いわゆる論語などを代表とする儒家や法家的な考え方が支配的な現代において、
「社会秩序とは何か? 果たして秩序は個人の幸せにつながるのか?」
そういった疑問を投げかけてくれる思想書です。
その「荘子」の外篇・天地篇の中に次のような寓話があります
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子貢(しこう)という若者が旅をしていて、畑仕事をしている老人に出会った。
見ると、畑に水をやるのに、わざわざ甕(かめ)を抱えて、井戸まで掘り下げた道を何度も上り下りしている。
それを見かねた子貢は、老人に声をかけた。
「ご老人、からくり道具をご存知ないのですか? 『はねつるべ』というからくり道具を使えば、一日に百本もの畝(うね)に水をやれるので、そんなに働かなくてもいいし、楽をできますよ」
それを聞いて老人は言った。
「お若いの、わしは師匠にこう教えられた。
『からくり道具』を使うようになると、それに頼るようになる。
『からくり道具』に頼るようになると、『仕掛け心(操作心)』が生じて、楽をするにはどうすればいいかと、効率ばかりを追求するようになる。
そして、そうなると、純粋無垢な心が失われてしまい、人間本来の素晴らしい在り方とはかけ離れてしまい、道(タオ)の体得などおぼつかなくなる」
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文頭に登場する、子貢(しこう)とは、孔子の弟子で孔門十哲といわれる程の弁舌に優れた才人です。
その子貢が、荘子もしくはその弟子と思しき老人にやり込められているところがまた、荘子の面白さでもあるのですが・・・
この老人の言葉は、コツコツと積上げていくことを避けて、便利さや効率ばかりを追求しがちな現代人にとっても、重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
もちろん、便利であることはとてもありがたいことですし、ものごとを遂行するときに、効率よくやることや、仕組みを構築し一般化すること自体は悪いことではないし、むしろ、ビジネスワールドでは推奨されるべきことでしょう。
しかし、実は、この寓話を通じて伝えたかったことは、二元論的に、この寓話を通じて効率的であることが、
「正しい、間違っている」「良いか、悪いか」「○か×か」を議論することではなく・・・・
いろんな意味で、超便利な現代にあって、人間は、仕組みや仕掛けによって楽をすることばかりを目指すようになると・・・
誠実にコツコツ働くことの尊さを忘れ日々の生活が人間性(人格)を養うための実践の場ではなくなり、その結果、人間的・精神的な成長が止まり心理的に対応してしまうことを危惧すべきではないだろうかということなのです。
スピード、効率を求められる現代社会だからこそ、普段とは全く違った場・空間・時間軸の中に自分を置いてみて内省する機会を創ってみてはどうでしょうか?
きっと新たな発見があるはずです。
一球一球のつみかさね / 一打一打のつみかさね
一歩一歩のつみかさね / 一坐一坐のつみかさね
一作一作のつみかさね / 一念一念のつみかさね
つみかさねの上に 咲く花
つみかさねの果てに 熟する実
それは美しく尊く 真の光を放つ
詩人/坂村真民
株式会社インナーコーリング 取締役 武石直人
参考:「荘子 全現代語訳 (上)」
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